azumur

2017.10.29
テキスト:柊明音

雨とビニール傘

 「今日は帰宅したらすぐにでも眠ろう」と思う日がある。あまり気づくことができなかった疲労により身体が悲鳴をあげたり、心の奥底で信号を送られて素直に従わざるを得ないという日がある。正に今夜がその日なのだけど、せっかくだから眠たい目をこすりながらつらつらと今日の出来事について触れてみたい。

 連日続いた雨の日からようやく解放されることになった先週だけど、今日はまたもや雨の日が訪れた。誰もがうんざりしているかもしれないけど、たまに降るくらいの雨の日は実は好きだったりする。子供のころ雨の日にワクワクしていた頃を思い出しているのかもしれないし、あるいは純粋な気持ちが持続しているのかもしれない。そうだとしたら嬉しいことだ。

 ただ、子供のころと違って傘を持つのがなんだか億劫になっている。これは海外、とくにアイスランドで鍛えられたというか慣れてしまったからかもしれない。ちょっとやそっとの雨では傘をささないし、そもそも向こうに持ち込むこともない。地元のひとたちの習慣やルールなどに適応しすぎて、日本でもささないで歩くことが当たり前のようになっている。

 神経質気味な外国人は日本でも傘をさすかもしれないけど、少なくとも私の周りでは見かけない。以前「どうして日本人は霧雨のような雨でも、降っているかどうかもあやしい雨でも、とりあえず傘をさすの?」と尋ねられたことがあるほど。

 とにもかくにも私は傘を持つ習慣すら薄れてきているので、酷い雨のときでも最近では折りたたみ傘をずっと愛用していた。自分だけのとっておきの折りたたみ傘というわけでもなく同居人から借りた傘である。

 でも、今日に限ってはなぜかビニール傘を持ち歩きたくなった。その動機のきっかけは家を出てすぐに判明することになる。世界が広がるのは、ビニール傘だけが持つ特権だ。歩いているだけでも素敵だし、カメラを持っているひとなら傘という媒介を通して撮影することだってできる。今日は大雨だったから余計に「自然がもたらす力をダイレクトに感じるなあ」と、大量の雨粒がつたうのを見ていた。

 それは自分だけの特別なものではない。視界が良好ということは、すれ違うひとたちのことまでちゃんと見えているということ。いつも以上に相手のことを考えられることも素敵だ。誰もが真っ黒の傘をさし、顔を覆い隠すように歩いていたら、いつ、どこで、誰とぶつかってしまうかもわからない。

 気遣いだけの話ではなく、周りで今どんなことが起こっていて、それを見た自分はどんなことを思うのか? そんなことまで想像が膨らんでいくのがなんだか楽しい、雨の日の出来事。

 明日は打って変わって快晴のようだ。雨の日も晴れの日も曇りの日も雪の日もどれも好きだけど、やっぱり空がどんよりしているほうに偏ってしまうのも考えもの。自分の心模様も同じだ。偏らないからこそ面白いし、毎日の発見がある。

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