azumur

2017.11.02
テキスト:柊明音

未来の自分へ

 昨夜は素敵な作品に思いがけず出会し、久々に誰かが産み出したものから豊潤なものをインプットすることができた。これは私の持論だが、アウトプットするひとはどこかで必ず何かをインプットしたがっている。それは自分の分野に固執しなくてもいい。音楽家なら画家から、画家なら音楽家からというように、自分から遠ければ遠い分野ほど何かをインプットしやすい。

 それは何も特別な道を歩んでいるひとだけの話ではなく、映画を見たなら誰かに感想や意見、考察を伝えることだって立派なアウトプットだ。とにもかくにも、何かをインプットし続けると自分の肉体や心はいずれキャパーオーバーになってしまうだろうし、何もインプットせずにアウトプットし続けられるほど容易い人生でもない。誰の作品も興味がない、自分の作品にしか興味がないというひとですら、実は日常のありとあらゆるシーンからインプットしている。

 そうはいっても、誰かの作品から刺激を得ることは私にとって喜ばしいことだ。些細な日常のシーンから心を動かされることはあっても、昔と違ってめったに誰かの産物に激しく心を揺さぶられることが少なくなった自分としては、昨夜の出来事はまるで生まれて初めて星空や海を見たときに近い感覚すら抱いて、まったく幸せだった。

 そんな出来事があったのも相まって、今日の昼まではとても穏やかな日々を過ごしていた。残念なことに、人の生きる道というものは時に容赦ない……それまでの自分を強制的にすべて上書きされるような出来事が前触れなく訪れることもあるのを、私は忘れていた。

 午後二時頃、外の空気が吸いたくなって屋上に出る。空が眩しいほどに輝いていた。降り注ぐ光が愛しくてたまらなかった。スマホからビョークを流していたけど、あまり耳や心に入ってこない。

 しかし、激しく動揺しているかといったらそうでもなかった。絶望に近いショックを与えられたにも関わらず、意外と当の本人がビックリするほどにケロっとしていた。昔のことを思い返してみると「ショックが大きいほど頭の回転が早くなり、脳のシナプスが次々に繋がっていく」自分がいたことが頭に浮かんだ。きっと今はその状態なのだ。

 春ごろにも同等の出来事が訪れ、そのときの私は本当に動揺しまくっていて、みるみるうちに自分に対して自信を失っていったし、周囲や世界……ありとあらゆることが上手く見えなくなってしまった。毎日何もしていないどころか、文字通り命懸けで「やらなくては! やらなくてはいけないのだ!!」という焦燥感に駆られながら一、二ヶ月を生きていた。

 今の自分はそういう焦燥感や義務感に駆られているわけではない。あったとしても、希望やら欲望の方が上回っている。

 屋上でも「今の自分を変えなくてはいけない」ではなく「今の自分を変えたい」という言葉が自然と口から漏れた。自分以外の誰かや何かがキッカケとなって……外的なものに不意打ちされたのが要因となって考えたことには違いない。けれども、焦燥感といった言葉は今日の私には不適切で、素直に自分だけの範疇で「こうしたい」と思った。

 この「しなくてはならない」ではなく「したい」という純粋な気持ちが、何事においても大切なことなのではないか。前者と後者では重みが違う。自分が今立っている土台の基盤の耐久性が異なってくる。

 「このままいったら私は死んでしまうかもしれない」とも考えて、一人で口元を緩めていた。「“かもしれない”って、なーんだ、私まだまだ全然諦めてないじゃんか」。

 冬の気配が迫っている十一月の初め。私は人生の転換期が訪れたことを実感していた。それを喜んでいるというよりは、やっぱり悲しくて寂しいけど、その悲しさや寂しさの中に希望もちゃんとある。

 ◎未来の自分へ
 もしかしたら、今あなたは人生においてどうしようもないほどの苦悩を抱えているかもしれません。もしかしたら「あのときもっと“やれた”」と思っているかもしれません。それを「これからもっと“やれる”」に変換してみませんか? 過去や今ではなく未来の自分を見つめてみませんか? これまでの人生がどれほど真っ黒だったとしても、明日やそれ以降はまだ白紙。真っ黒にしたり燃やして灰にしてしまうくらいなら、私は私の好きな色でまた新たに描いていきたい。

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